ウィツマールの姉弟



第一話 空から天使が舞い降りる


「それじゃ、行ってくるわね。ウィツ」
 手にしていた写真立てを、メリッサはコトンとベッドの横に戻した。その写真に写っているのは、線の細い穏やかな雰囲気の少年と勝ち気そうな金髪の少女、そして、ふたりの間で無邪気に笑う小さな男の子の姿だ。メリッサが家から持ち出してきた、数少ない荷物のうちのひとつだった。
「さ、急がないと。遅刻するとまたロダがうるさいわ。マール! マール、どこにいるの?」
 寝室を出て小さなダイニングをのぞき込むと、椅子に腰掛けた男の子がぼんやりと窓の外を見ていた。マール、ともう一度呼びかけると、驚いたように振り返り、まるで今ようやく目が覚めたとでもいうようにぱちぱちと目をしばたいた。
「ちゃんと留守番してるのよ、マール。出かけるときは戸締まりをして、鍵を持っていくこと!」
 にっこりと笑ったマールが「はぁい」と元気に返事をする。「いってらっしゃーい」という声を背に、メリッサはバタバタと家を飛び出した。
 ラーズファート王国の辺境に位置する“望遠鏡の街”にやってきて半年。メリッサは、街の中心にそびえ立つ大望遠鏡の観測所で働いていた。
 穏やかな朝の陽射しに、メリッサの金色の髪がきらきらとひるがえる。メリッサとマールが暮らす小さな家から観測所までは、走れば十分とかからない距離だ。
 観測所に飛び込んで最初に降ってきたのは、予想通り現場監督のロダの怒鳴り声だった。
「ウィツ、遅いぞ! 交代の時間に遅れる奴があるか、馬鹿野郎!」
「わかってます、すみません!」
 なげやりに怒鳴り返して持ち場へ向かう。遅刻といったって五分も遅れていないのに。ロダはもともと口うるさいが、特にメリッサに対しては、やることなすことすべて気に入らないとでもいうようにいちいち文句をつけてくる。
 ここでしおらしく謝っておけばもう少し印象がよくなるのだろうとわかってはいるのだが、どうにもうまくいかない。他人に頭を下げることも謙虚にふるまうことも、メリッサはいまひとつ慣れることができずにいた。
 この街の望遠鏡は本来、星の観測のために造られたものだが、近年は日中の雲の観測も行っており、観測所には交代制で常に職員が詰めている。小さくあくびを漏らしながら帰り支度をしているのは、遅番だった職員たちだ。
 メリッサが制御盤の前の席につくと、後ろで作業をしていた職員たちの話し声が耳に入ってきた。
「聞いたか、今度、フィラードの制御システムの変更があるって」
「ああ、この街も昔よりずいぶん居住区が広がったからな。これで今まで供給が不十分だった区画にも十分に動力を送れるようになるらしい」
 フィラード、という言葉にぴくりと肩が跳ねる。
「動力制御のシステムが変わるの? フィラードの力を引き出す方法っていうのは何通りもあるものなの?」
 思わず振り返って割って入る。しかし、相手の反応は冷ややかだった。
「フィラードのことになるとやけに首をつっこんでくるな、おまえ。余所者には関係ないだろう」
「まったくだ。それに、そうだ、おまえのところの機械人形。今度はアレンさんのところの窓を割ったっていうじゃないか。迷惑をかけるのもいい加減にしろよ」
「し、仕方ないじゃない。マールはまだ小さいんだもの! それにあれは、石を投げたのはあの家の子で……!」
 メリッサの言葉を遮るようにして、ひとりが嫌な笑い声を上げた。
「小さい? あれが? 小さいのは頭の中身だけだろう。出来損ないの機械人形によく記憶させておけ、今度悪さをしたら街からつまみ出してやるってな」
「そんな言い方……!」
 立ち上がって言い返そうとするが、ふたりはもうメリッサには構わず、話をしながら向こうへ行ってしまう。メリッサはきゅっと唇を引き結ぶと、握りしめた手を意識してゆるめながら席に戻った。
 メリッサとマールは街の住人たちとうまくいっていない。メリッサがほとんど自分の素性を語ろうとしないこととマールがこの国では珍しい機械人形だということが、どうにも彼らには気に入らないのだろう。ただフィラードのことを学びたいだけだと言っても、得体の知れない異国人がフィラードに対して純粋な興味以上の関心を示すこと自体が胡散臭い目で見られるのだ。ロダなどは警戒心剥き出しで、フィラードに関わる作業には絶対にメリッサを加えようとしない。
「失礼な話だわ。まるでわたしがこの街からフィラードを盗もうとしているみたいじゃない。根拠もないのに人を疑うなんて最低!」
 八つ当たり気味に制御盤を操作する。重い音を響かせて巨大な鏡筒がわずかに角度を変えると、途端にロダの大声が飛んできた。
「ウィツ! 一度にそんなに動かすんじゃねえ! おまえまだ操作の手順を覚えてねえのか!」
「覚えてます! 座標も正確です! ちゃんとやってます! いちいちケチをつけるのは間違えたときだけにしてくれる!?」
 普段はここからどちらか一方が息切れするまで罵り合いになるのだが、今日はレンズをのぞき込んだ別の職員の「あれ?」というつぶやきが悪態の応酬を中断させた。
「なんだろう、あの飛空船は……?」
 つられるようにメリッサも頭上を仰いだ。もちろん、望遠鏡で見つけたものが肉眼で確認できるはずもないが、ドームのスリットからのぞく空は、今日もきれいに晴れ渡っていた。


「おい、早くしろよ。ロダのオッサンに見つかるとうるさいからな。今日こそてっぺんまで登ってやるぞ!」
「トロトロすんなよ、マール! バレたらおまえの責任だからな!」
 小さな人影がふたつ、観測所の屋根を器用に登っていく。その後ろに少し遅れて、もうひとつの影が前を行くふたりを追いかけていた。
「待ってよ、リック、ビル。待ってってば、うわあっ」
 慌てた拍子にマールはずるりと足を滑らせ、あやうく下まで転がり落ちそうになる。ここは本当なら、観測所の職員しか登ってはいけない場所だ。街で一番の悪ガキと名高いリックとビル、それにマールは、今日は街で一番高いこの場所を制覇してやるつもりだった。子どもというのは、「高い場所」と「立ち入り禁止」に本能的な魅力を感じる生きものなのである。
「よっしゃ! 着いた! てっぺん!」
「すげえ、眺めいいー。ここサイコーだな!」
 うんしょうんしょと屋根をよじ登り、ようやくマールもひょこりと頂上に顔を出す。そして、そこに広がっていた景色に、思わず「うわあ」と声を上げた。
 この“望遠鏡の街”は、階層状に高く街を積み上げるようにして造られている。その頂上にある観測所のそのまたてっぺんとくれば、それより上にはもう空しかない。眼下には色とりどりの屋根が模型のようにひしめき合い、さらにその向こうには、緑の大地がどこまでも果てしなく続いている。遠く、ところどころに見える大きな黒い影は、古い時代の建造物の名残だ。
 最高の景色を独占したリックたちは、さっそくポケットからお菓子や食べ物を引っ張り出し始めた。計画して、めいめい自分の家からこっそり持ち出してきたのだ。けれど、マールはその約束をすっかり忘れてしまっていた。
「なんだよ、おまえ、なにも持ってきてないのかよ。持ってこなかったやつには分けてやんねえ。おまえの分はなし!」
「いいよ、マールは機械人形だもん。腹なんか空かないよ、なあ?」
 にやにやと笑うビルに、マールは「うん……」と曖昧にうなずいた。機械人形だって飲んだり食べたりする。ふたりとも知っているくせに、マールが逆らわないのがわかっているからそういう言い方をするのだ。
 お菓子の包みを開けながら、リックとビルは最近街にやってきた旅商人の話を始めた。プリテットという小さな機械人形を連れた風変わりな男だが、遠い国の面白い話をしたり珍しいお菓子をくれたりするので、街の子どもたちの人気者になっているのだ。
「いいなぁ。おれもいつか遠い国に行ってみたい。飛空艇のパイロットになってさ、世界中を旅するんだ」
「あ、ぼく、知ってるよ。ぼくが前に住んでたところはね……」
「ばぁか、おまえの話なんか聞いてねえよ! おまえもさ、あの旅商人のおじさんみたいにもっとおもしろく喋れよ。そしたら聞いてやってもいいぜ」
 リックに怒られて、マールはしゅんと口をつぐんだ。マールの話し方はたどたどしく、口達者なリックとビルにはいつも最後まで話を聞いてもらえない。
 ふたりの声を聞きながら、マールはぼんやりと空を見上げた。
 あおい。あおい。あおい、そら。しろい、くも。
 ちょっと楽しくなって、ぶらぶらと足を揺らす。それからふと首をかしげた。
 あれ? なんだろう。なにかおちてくる。
 ふわふわと降りてくるそれは、なんだか白っぽい。でも雲じゃなさそうだ。マールはその不思議なものを指さしてリックとビルに教えようとしたが、リックの口から出た「ホワイトキャンベル」という聞き慣れない単語にきょとんと首をかしげた。
「ほわいときゃんべる? なぁに、それ」
「なんだよ、おまえ知らねえの? 旅芸人の一座だよ。もうすぐこの街に来るって父さんが言ってた」
「手品とか、いろいろおもしろいことするんだろ? 早く見たいなぁ」
 へえ、とマールも目を輝かせた。空から落ちてくる白いもののことなどすっかり忘れて、新しい話題に夢中になる。
 しかし、子どもたちの特別な時間は長続きしなかった。
「こんなところで何をやってるんだ、おまえら! ここはガキが勝手に登っていい場所じゃねえぞ!」
「うわっ、やべえ、ロダのオッサンだ!」
 やってきたのは、「観測所のクソジジイ」と街の子どもたちから恐れられているロダだった。実際にはロダはまだ三十代だが、一ケタの子どもから見れば大人はすべて「ジジイ」と「ババア」である。
 すばしっこいリックとビルはあっという間にその場から逃げ出したが、動きのにぶいマールだけがロダの屈強な腕につかまってしまった。襟首をつかんで引きずり戻される。
「またおまえか! 毎回毎回、問題ばかり起こしやがって!」
「ご、ごめんなさい」
「いいか、ここは立ち入り禁止だ。今度入ったらただじゃおかねえからな!」
 縮こまってロダの罵声を浴びていたマールは、ふと目を上げて、それからその目をくるりとまるくした。
 さっき見た白いものが、もうすぐそこまで降りてきていた。やっぱり雲じゃない。人だ。傘をさした人間のかたちをしている。
「おい、聞いてるのか!」
 怒鳴ったロダの背中に、とんっ、とその人がぶつかった。
 不意打ちをくらったロダが「うわっ」とよろける。マールが慌てて腕をつかまなければ、屋根の端から足を踏み外して真っ逆さまになっていただろう。
「だ、誰だ、しゃれにならねえ悪戯しやがって! いい加減に……」
 しかし、振り向いて怒鳴ったロダの声は中途半端に途切れた。
 そこに立っていたのは、真っ白なパラソルを広げた可愛らしい女の子だった。
「ごめんなさい、ちょっとよそ見をしていて。大丈夫でしたか?」
 軽やかな声。
 メリッサも金髪だけれど、少女の髪はもっと淡い、やわらかな陽光を紡いだかのような金色だ。澄んだ泉のような、きらきらした青い瞳。すんなりとした細い手足が、白いワンピースから伸びている。
 呆気にとられて見つめているマールに気づくと、少女はふわりと微笑んだ。
「こんにちは。はじめまして」
 天使だ、とマールは思った。


 それからしばらくして、見慣れない飛空船が“望遠鏡の街”に降り立った。
 旅芸人の一座、ホワイトキャンベルがやってきたのだ。





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