ウィツマールの姉弟



第二話 ホワイトキャンベル


「それでね、天使がね、ふわふわっておりてきたの。ロダさんもびっくりしてた」
「そう、天使に会ったなんてすごいわね、マール。でも、どうせならその天使も、もっと死ぬほどロダを驚かせてやればよかったのに」
「だめだよ、ロダさん、おっこちそうだったんだよ。もっとびっくりしたら、ほんとにおっこちちゃったよ」
 マールの手を引いて歩きながら、メリッサは小さな弟の言葉に耳を傾けていた。
 結局、ロダの大目玉をくらったのはマールひとりで、その後はメリッサの仕事が終わるまで所長のダールが預かってくれていた。本当は観測所の物置に放り込まれそうになっていたのだが、通りかかったダールが間に入ってくれたのだ。
「あんまり甘やかすもんじゃないですよ、所長。そうやって所長が庇ってやるから、あいつらがいい気になるんです」
 ロダの抗議に「まあまあ」と応じたダールは、メリッサたちに住む場所と仕事を紹介してくれた恩人でもある。
「ダールさんね、天使さんとお話ししてた。おひさしぶりです、って。ダールさん、天使さんたちとお友達なのかなぁ?」
「所長が? さあ……あの人なら変わった知り合いがいてもおかしくなさそうな気がするけど」
 彼の懐の深さは、余所者のメリッサとマールをすんなりと受け入れたことですでに証明済みだ。
(いつかは話さなくちゃいけない。この街に来た理由も、わたしの目的も。所長ならきっと、ちゃんと聞いてくれる。だけど……)
 考え込みながら歩いていると、不意に、くんっと手を引っ張られた。マールがつまずいて転びそうになったのだ。
 道は平らで、足を引っかけるような段差や石があったわけではない。この頃マールは、歩き方が少しおぼつかないのだ。ぼんやりしていることも多く、今朝だって、メリッサが呼ぶ声になかなか気づかなかった。
 オルゴールのネジがゆるむように、少しずつ、けれど確実に、マールの調子は悪くなってきている。
 そしていつか、最後の音を鳴らして止まってしまう。
 大丈夫だろうか。自分はちゃんと、マールを守ってやることができるだろうか。本当に、間に合わせることができるだろうか。
「メリッサ……じゃない、ウィツ、元気ないの? チョコレート食べる?」
 その声に我に返ると、黙り込んだメリッサを心配するようにマールが顔をのぞき込んでいた。差し出された手には、きれいな色のお菓子の包みが載せられている。
「……マール、どうしたの? これ」
 今のメリッサには、なかなかマールにお菓子を買ってあげられるような余裕がない。故郷にいた頃はいくらでもあげられたのに、今の質素な生活にマールが文句を言ったことはなかった。
「旅商人のおじさんにもらったの。ウィツにあげる」
 ポケットにひとつだけ入っていたお菓子の存在を、マールはリックたちといたときには忘れていたし、今も「思い出した」という自覚はなかった。何も持ってこなかったと友達に怒られたことさえ、もう覚えていない。
 ああ、とメリッサはうなずいた。機械人形を連れた旅商人のことは彼女も知っている。確かトレスターとか名乗っていたはずだ。
 ありがとう、と受け取ると、マールは嬉しそうに笑った。
「天使、か……」
 小さくつぶやいて、メリッサは夕暮れの空を見上げた。


          *

 街の中央広場は、まるでお祭りのように賑わっていた。
 広場の中央に設置されているのは、旅芸人一座ホワイトキャンベルの移動式劇場“アルヴァーニ”だ。劇場や広場の街灯には造花やリボンが飾り付けられ、物珍しげに集まってきた人々の前で、一座の面々が挨拶代わりの簡単な芸を披露している。反応は上々で、この分なら明日から始まる公演の入りも期待できるだろう。
「ふうん、旅芸人ねぇ……」
 いかにも興味津々、といった様子でつぶやいたのは新米自警団員のソイルだ。その頭を、隣にいた団長のモッカーが手にしていた書類で軽くはたいた。
「おまえは見世物より仕事だ。子どもみたいに浮かれてるんじゃない」
「わかってますよ、任せてください。停泊所から宿の手配までばっちりです」
 自信満々に胸を張って答える若い部下を、モッカーはどうだかな、とでもいうように見やった。
 この“望遠鏡の街”は王国の辺境に位置することもあって、普段は人の出入りはほとんどない。住人たちに馴染みがあるのは、時折やってくる貨物の定期便くらいのものだ。ひとくちに旅芸人と言っても、劇場を持つ大がかりな一座ともなれば、受け入れる側の準備もそれほど簡単ではない。ホワイトキャンベルの飛空船“アルバータ”の滞在中の停泊場所や広場に設置する劇場のことなど、モッカーら自警団と打ち合わせをしながら興行の準備が進められていた。
 普段とはまるで違う表情になっている広場を眺めていたふたりのところに、木材や工具を抱えた少年がやってきた。モッチーという名前のこの少年は芸人ではないが、一座の舞台装置や飛空艇の整備を一手に引き受けているらしい。
「すみません、団長さん。中央の噴水にも少し仕掛けをさせてもらって構いませんか? 出発するときにはきちんと元に戻しておきますから」
「そうだな、噴水自体を改造してしまうのでなければ問題ないだろう」
「あのっ、仕掛けって、どんなことをするんですか?」
 わくわくした口調で割り込んだソイルに、モッチーはにこりと笑って「まだ内緒ですけど、きっとびっくりしますよ」と答えた。ありがとうございます、と礼儀正しく頭を下げてきびすをかえすと、今度はリボンを手に飾り付けの仕上げをしていた少女のところへ駆け寄って何か話しかけている。顔を上げてモッチーの言葉にうなずいているのは、観測所の屋上からあやうくロダを落としかけた、あの金髪の少女だ。
 その様子を見ながらモッカーがつぶやいた。
「どちらかというと、あの少年のほうが一座の責任者といった感じだな」
「あ、実は俺もそう思ってました」
 座長のノッコは今でこそリーダーらしく集まった人々の間を挨拶して回っているが、モッカーたちとの打ち合わせの際の発言は「オッケー」と「じゃ、適当に」が九割近くを占めており、むしろ同席していたモッチーのほうが実質的な交渉役を務めていたのだ。
 そんなモッカーとソイルの視線を感じたのか、広場の反対側にいたノッコがふたりのほうに顔を向けた。にやりと笑い、頭から外した黒いシルクハットに片手を突っ込む。
 すると、次の瞬間、パンッと勢いよくソイルの後頭部がはたかれた。
「いてっ!」
 驚いて振り返るが、そこには誰もいない。「あれ?」と首を傾げると今度は尻を叩かれた。と思えば次は髪を引っ張られる。
「うわっ、ちょっ、どうなってんだこれ」
 向こうではノッコが帽子に手を入れたり出したりしながら「あっはっは」と笑っている。
「ふむ、どうやらあの帽子に手を入れると別のことろから手が出てくるという仕掛けのようだな」
「ちょっと団長、そんな落ち着いて観察してないで助けてくださいよ。うわ痛い!」
 バシバシと叩かれるソイルを、見物人たちも笑って眺めている。すっかり出し物のひとつにされてしまった。
「頭に花も咲いたようだぞ、ソイル」
「うわっ、ほんとだ。いつの間に」
 しかも、ソイルの頭につけられていたのはそこら中にある造花ではなく、今摘んできたばかりのような瑞々しい生花だ。淡いピンク色の花弁が愛らしい。
 別の場所では、小さな機械人形の女の子が軽快な音楽に合わせて踊りと軽業を組み合わせた芸を見せている。この一座にも機械人形がいるんですね、とソイルはつぶやいた。
「最近よく見ますね。この間から来てる旅商人も連れてたし、あの子もそうでしょう、観測所で働いてる……ええと、ウィツって子の弟」
「そうらしいな。なぜ機械人形を弟と言っているのか、よくわからんが」
 モッカーは首をかしげたが、それは街の住民の大半が思っていることでもあった。
 ソイルはしばらくためらってから、ぽつりと口を開いた。
「あのふたりがこの街に来たとき、最初に見つけたの、俺なんですよね」
「ああ、そういえばそうだったな」
「一体何の遭難者かと思いましたよ。ずぶ濡れのひどい恰好で、一瞬、片方は死んでるのかと思いましたもん」
 このあたりで時折降るひどい雨の日。ひと目ではそうとわからないくらい精巧な機械人形の少年が、自分より背の高い少女を肩にかけて、あたりを覆い尽くす雨音にかき消されそうになりながら必死に声を張り上げていた。
 たすけて。おねがい。メリッサをたすけて。
 駆け寄ったソイルが助け起こしたとき、少女がかすかにうめき声を上げた。不明瞭な言葉の中で、ウィツとマールというふたつの名前だけが、かろうじて聞き取れた。
 少年の叫び声も少女のうわごとも、聞いていたのはソイルひとりだった。そのあとふたりの身柄は観測所の所長が引き受けることになって、以来一度も、あの「姉弟」とは話していない。意識のなかった年上の少女――ウィツと名乗っているあの少女のほうは、ソイルの存在すら知らないだろう。食い違った名前の理由は、だからもちろん、今でもわからないままだ。
 いつか話してくれるのかな、と思う。どこから来たのかもはっきりせず、自分のことをほとんど話さないまま居着いたウィツを、街の人々は胡散臭い目で見ている。あからさまな陰口を叩く者も少なくない。けれどソイルには、あの姉弟が、皆が言うほど悪い人間には見えないのだ。何か事情があるなら話してくれればいいのに、とは思うが、自分から話しかけにいかないのは、あのロダに負けない勢いで怒鳴り返しているのがなんだかコワイからである。声をかけようものなら自分まで容赦なく怒鳴られそうな気がする。
「さて、そろそろ戻るぞ。おまえはこの後ドッグで作業だろう」
「あっ、そうなんですよ。新しいエンジンの取り付けをエディさんが手伝わせてくれるって!」
「おまえは飛空艇のこととなると途端に元気になるな……。できればそのやる気をもっと他のところにも振り分けてほしいものだが」
 呆れ混じりにぼやくモッカーを小走りに追いかけながら、ソイルはちらりと広場を振り返った。
(あの子たちも舞台を見に来るのかな)
 ひょっとしたら、ウィツは興味がなくてもマールにせがまれて連れてくるかもしれない。せっかくの機会なんだから、あの姉弟も楽しめればいいな、とソイルは思った。


 ソイルとモッカーの目には留まらなかったが、広場にはマールの姿もあった。今日もリックとビルと一緒に、公演の準備を進めるホワイトキャンベルの様子を、目を輝かせて見つめている。
「おい、どの人だよ。おまえが昨日会ったのって」
「あの金色の髪の人だよ。空から、白い傘をさして、ロダさんの上におちてきたの」
「なんだよ、おまえひとりだけぬけがけしやがって。マールのくせにナマイキ」
 マールひとりを置いて逃げたことを棚に上げて、リックが口をとがらせる。最初は「ウソだろ!」と決めつけていたのだが、ビルが観測所に勤めている父親からその後の騒動のことを聞いており、渋々ながら認めざるを得なかったのだ。
 リックに小突かれてもマールはにこにこと笑っている。自分に笑いかけてくれたあのきれいな天使がホワイトキャンベルの一員であったことが嬉しくてたまらないのだ。ついさっきも、三人で飛空船アルバータを見に停泊所まで行ってきた。あんな船で世界中を旅できたら、きっととても楽しいだろう。
 しかし、はしゃぐリックとビルも、その横で笑っているマールも、自分たちをじっと見つめる視線があることにはまったく気づいていなかった。
 広場の影に立っていたのは、旅商人のトレスターだった。機械人形のプリテットを従え、わずかに目を細めて子どもたちの様子を観察している。
「ふん、なるほど。これはなかなかいい手かもしれんぞ……」
 つぶやいたトレスターの口元に、うっすらと不穏な笑みが浮かんだ。





戻る | 目次 | 進む
TOP

Copyright (C) PinkNokko's All Rights Reserved.