ウィツマールの姉弟



第三話 星降る夜に


「いけない、すっかり遅くなっちゃった」
 その日、残業を終えたメリッサが観測所を出ると、頭上には満天の星空が広がっていた。
 大望遠鏡を中心に発展してきただけあって、この街の夜は暗い。どの家の窓にも光の漏れにくい覆いがきちんとついているし、街灯の数も少なめだ。
 だが、その分、夜空の美しさは息を飲むほどである。街灯がなくても月明かりがなくても、雲に覆われてさえいなければ星明かりだけで十分に夜道を歩くことができるのだということを、故郷にいた頃は知らなかった。星の名前も、ここに来てからずいぶん覚えた。
「マールはもう寝てるだろうな」
 以前はメリッサの帰りが遅くなっても頑張って起きて待っていてくれたが、最近では眠ってしまっていることのほうが多い。それでもベッドではなくソファの上やダイニングのテーブルに突っ伏して眠っているから、本人はいつも起きて待っているつもりなのだ。起きていられる時間、言い換えれば、連続稼働の可能な時間が、短くなってきている証拠だった。
「アーシェルクトの双子星、白く燃えるリンデンセン、晶羊宮に入る冥永星……」
 歌うようにつぶやきながら、今頃ウィツも同じ星を見ているだろうか、と思う。くすんだ星空しか見えない、あの国で。
 空から地上に目を戻したメリッサは、思わず足を止めて何度かまばたいた。
 リンデンセンの星の白い輝きが、そのまま地上に降りてきたのかと思った。
 闇の中に、ほのかな白い光がやわらかくこぼれている。それは、白いワンピースに身を包んだ少女だった。さらさらと肩に流れ落ちる淡い金色の髪。夜だというのに白いパラソルをさして、道の端に設けられた柵に寄りかかるようにして眼下に広がる街並みを眺めている。その姿がまるで淡い光をまとっているように見えたのは、本当にそうだったのか、それともメリッサの目にそう映っただけなのか。
 天使が降りてきたんだよ。マールの声が耳の奥によみがえる。
 メリッサが声をかけるより、人の気配に気づいた少女が振り向くほうが早かった。
「こんばんは。きれいな夜ですね」
 ぼんやりと道ばたにたたずんでいるメリッサの姿を認め、にこりと笑う。澄んだ青い瞳が印象的だった。
「え……ええ。あなた、もしかしてホワイトキャンベルの?」
 人の出入りが少ないこの街では余所者はすぐにそうとわかってしまうし、そうでなくとも、こんな少女に一度でも会っていれば忘れるはずがない。案の定、少女は「はい」とうなずいた。
「旅芸人一座ホワイトキャンベルのイリスです。どうぞよろしく」
 反則だ、と思わずメリッサは心の中でつぶやいた。なんなのだ、この、どんな用心深い人間の警戒心でも一瞬で溶かしてしまいそうな、やわらかな声と笑顔は。
「えっと……わたしはウィツ。この上の観測所で働いてるの。昨日、そこで弟があなたに会ったと思うんだけど」
 メリッサの言葉に、イリスは少し首をかしげてから、ああ、というようにうなずいた。
「あの男の子ね。ずいぶんびっくりさせちゃった」
 あの機械人形、とも、機械人形が弟なの、とも言わない。それでいて、無理にメリッサに合わせているようでもない、ごく自然な口調だった。
「どうせなら事故を装ってロダを思い切り突き落としてやればよかったのに。あいつなら死にやしないわよ、頑丈だから」
 ついマールに言ったのと同じようなことを言ってしまう。けっこう本気で言っているのだが、イリスは「あらあら、物騒」とおかしそうに笑っただけだった。
 こんなところで何をしているのかと尋ねると、散歩という答えが返ってきた。
「散歩? こんな時間に?」
 首をかしげたメリッサに、そう、とイリスはうなずいた。
「同じ場所にもう一度来られるかどうか、来られたとしても、それがいつになるかわからないから。だから、どの街も、よく見て、ちゃんと覚えておきたいの。昼の顔も、夜の顔も」
 でも、あんまり遅い時間に出歩いてるとモッチーに叱られちゃうんだけどね。
 小さく笑って付け加えて、イリスは街の中心にそびえ立つ大望遠鏡を見上げた。ちょうどそのとき、星空を背景にしたドームの影が低い音を立ててかすかに震え、鏡筒が角度を変えるのがわかった。
「すごいなぁ。わたしもこの街に生まれてたら、あの望遠鏡で働いてみたかったな」
 職員だと名乗ったメリッサに対する社交辞令だとしてもおかしくない言葉だったが、イリスのきらきらした眼差しには、お世辞を言っているような気配は少しも感じられなかった。この少女は、本当に、訪れる街をただ通り過ぎるのではなく、こうやってひとつひとつきちんと胸に刻んでいっているのだろう。
「すごいわね、世界中を旅して回るなんて。でも、知らない土地に行くのって、やっぱり大変なことも多いでしょう?」
 それはいまだに余所者扱いされているメリッサの実感から出た言葉だったが、イリスは「そうね……」とつぶやいた後、何か思い出したようにクスリと小さく笑った。
「ある村でね、公演どころか話もろくに聞いてもらえずに門前払いを食ったことがあるの。そうしたら座長のノッコが、こんな村にこそ笑いが必要だとか言って、勝手に入り込んで手品をしながら村中を練り歩いて」
「いいの? そんなことして」
「案の定、すぐに村の人たちにつまみ出されちゃった。その後モッチーが……わたしたちの船の整備士の男の子なんだけど、彼が謝りに行ってひたすら頭を下げてたわ」
「迷惑な座長!」
 メリッサは呆れ返ったが、イリスは楽しそうにくすくすと笑っている。
「でも、おかげで忘れられない村になったわ。できればもう一度行って今度こそ公演したいと思ってるくらいだけど、あんなに怒られちゃったから、どうかな」
「それってどこの話? ラーズファートのどこか?」
「ううん、ドルヴァリア帝国の山奥のほう。わたしたちが行ったときは夏だったけど、冬はとてもたくさん雪が降るんですって」
「ドルヴァリアにも行ったことがあるの?」
 思わず聞き返すと、イリスは「もちろん」とうなずいた。
「あの国ってすごいのね。特に帝都は、本当にいろんなものが機械仕掛けで。せっかくだからいろいろ勉強したいって、モッチーがなかなか離れたがらなくて大変だったわ」
「そうね、あの国は……」
 言いかけて、メリッサはふと口をつぐむ。黙ってイリスの隣に並ぶと、柵の上に腕を載せて寄りかかった。
「……わたしね」ぽつりと口を開く。「この街の人間じゃないの」
 イリス小さく首をかしげる。やさしく促すような仕草だった。
「ドルヴァリアから来たの。名前も、本当はウィツじゃない。メリッサがわたしの本当の名前」
 たった今会ったばかりの少女になぜそんな話をしようと思ったのか、自分でもよくわからなかった。イリスがただすれ違うだけの他人で、互いに余所者同士であるという気安さがそうさせたのかもしれない。あるいは、故郷であるドルヴァリアの名前を聞いたせいかもしれなかった。
 メリッサは、ドルヴァリア帝国でも指折りの貴族の家に生まれた。ウィツはメリッサの幼馴染みで、身分は平民だったけれど、そんなことは関係なくふたりは仲が良かった。もっともウィツは病弱でしょっちゅう寝込んでいたので、その度にメリッサが山のようなお菓子をかかえてお見舞いに行き、「こんなにたくさん、一生かかっても食べられないよ」と苦笑されていたのだが。機械が大好きだったウィツの話はいつも面白く、どれだけおしゃべりしていてもちっとも飽きなかった。
 発端は、三年前、メリッサが誕生日に父親からもらった紫色の鉱石だった。その石に不思議な力があることを知ったメリッサとウィツは、それを使って一体の機械人形を作り上げた。名前は、ふたりでさんざん話し合った末、マールと決めた。
 機械人形にも、人間と同じで心がある。経験を通して様々なことを学び、大人になっていくのだ。マールは精神年齢の成長が遅く、いつまで経っても小さな子どものままだったが、メリッサとウィツは気にせずにマールを可愛がり、いろいろなことを教えた。ふたりにとって、マールは本当の弟のような存在だった。
 メリッサは何の疑問も持っていなかった。このままずっと、三人で楽しく過ごしていけると思っていた。
 先にその事実を知ったのは、その間も鉱石について調べ続けていたウィツだった。マールを動かしている石の力には限りがあり、遠からず効果を失ってしまうということ。フィラードと呼ばれるらしいこの種の不思議な力を持つ鉱石は、機械文明国であるドルヴァリアには他に存在せず、唯一ラーズファート王国に、巨大なフィラードを動力源としている街があるらしいということ。
 マールの新たな動力を得るためには、そこへ行くしかない。身体が弱く旅などとてもできないウィツに代わって、メリッサがその街まで行くことに決めた。何かと心配するウィツに、メリッサは言った。いいからあなたは自分の心配をしてなさい! そんな風邪、さっさと治して元気になること。帰ってきたときにまだ寝込んでいたら承知しないわよ。マールにだって笑われるから。
 その頃のウィツは、ひどい風邪を引き込んでほとんどベッドから起き上がることができなくなっていた。風邪でないかもしれない、重い病かもしれないと医者が言っているのを、メリッサは扉の影で聞いていた。
 しかし、当然のことながら、貴族の令嬢であるメリッサがたかだか機械人形のために遠い異国へ行きたいなどと言って許されるはずもない。家出同然で出てきたから、迂闊に本名を名乗るわけにはいかなかった。それで、この街ではウィツの名前を借りることにした。
「だからわたしは、この街で、なんとかしてマールの動力源を手に入れたいの。ウィツが書いてくれた本とこの街のフィラードのことを勉強して、新しいフィラードの力をマールに組み込む方法を探してる。……でも、全然うまくいかなくて」
「方法が見つからないの?」
 イリスの問いにメリッサはかぶりを振った。柵の上に載せた腕に顎をうずめる。確かにそれもある。けれど。
「街の人たちと、ちっともうまくやれないの。半年も暮らしてても、観測所で一緒に働いていても、ずっと余所者扱いのまま。わたしがフィラードって言葉を口にするだけで、誰も彼もが盗人でも見るような目で見るわ」
 フィラードはこの街の生命線だ。フィラードに何かあれば、望遠鏡も何もかも、街のすべての機能が停止してしまう。そしてこれは、代えの効かない、貴重な魔法の宝石なのだ。余所者がフィラードについて探ろうとすることに皆が過敏になるのは理解できる。
「たとえ今わたしがマールの動力のことを言い出したって、疑われて追い出されるだけ。マールを動かす分だけ、ほんの少し力を借りたいだけで、それ以上の目的なんかないと言ったところで、とても信じてはもらえないわ。わたしは機械人形についてもフィラードに関しても素人だから、ひとりでできることに限度があるのはわかってる。でも、なかなか信用が得られなくて、言い出すきっかけがつかめない」
 所長ならわかってくれるかもしれないとは思う。彼ひとりに相談して解決できることなら、とうに打ち明けているだろう。けれど、フィラードに関わる問題は街全体の問題なのだ。
 どうすれば信頼を得られるのか。どうすれば、皆はメリッサの話をちゃんと聞いてくれるのか。
「こんなんじゃ、マールの保護者失格ね……」
「そんなことない」
 イリスが小さく首を振った。顔を上げたメリッサにわやらかく微笑みかける。
「ウィツはこんなに一生懸命じゃない。大丈夫。ウィツの想いが伝われば、味方になってくれる人はきっといるわ」
「そうかな……」
 そうだといいな、とつぶやく。イリスに言われると、本当にうまくいくような気がした。
「ごめんなさい。会ったばかりなのに変な話をしちゃって」
「ううん。こんなきれいな夜に出会ったのも、きっと何かの縁だから」
 それから少し他愛もない話をして、「それじゃ」と手を振って別れようとしたとき、メリッサはふと思い出して振り返った。
「明日の公演、わたしもマールと一緒に観に行くつもりなの。イリスの出番、楽しみにしてるわね」
「ありがとう。ぜひ楽しんでいってね」
 またふわりとイリスが笑う。一体どうやったら、こんなふうに笑うことができるのだろう。
 少し歩いてから振り返ると、白いパラソルの少女の姿はもうどこにもなかった。メリッサは思わず目をしばたき、それから小さく笑った。そのくらい不思議なほうが、イリスには似合っている。
 静かな夜の中を、少し前までとはまったく違う穏やかな気持ちで、メリッサはマールの待つ家へと歩き出した。





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