ウィツマールの姉弟



第四話 憧れと罠


 “望遠鏡の街”に、楽しげな花火の音が響く。
 空は快晴。気持ちのいい青空の下で、いよいよ旅芸人一座ホワイトキャンベルの公演が始まろうとしていた。
 見物に集まった人々でごった返す広場には、マールを連れたメリッサの姿もあった。メリッサも“天使”と出会ったと知って、マールは朝から大はしゃぎだ。
「ね、天使だったでしょう? イリスは何をするのかなぁ」
 楽しそうに言ったそばから、足をもつれさせて転びそうになる。気をつけて歩きなさい、とメリッサは務めて何でもないように注意した。
 開幕は昼過ぎだ。やがて、広場に設置された移動式劇場“アルヴァーニ”の舞台に、座長のノッコが姿を現した。
「みなさま、本日は我らホワイトキャンベルの公演にお集まりいただき誠にありがとうございます。どうぞ最後までごゆるりとお楽しみください」
 頭の上の黒い帽子を取って恭しくお辞儀をする。すると、その帽子が突然動いてノッコの手から飛び出した。
「おやおや、失礼。これはいけない」
 ノッコが慌てて追いかけるが、帽子はぴょんぴょんと跳ねてなかなか捕まらない。ようやく取り押さえた帽子を持ち上げると、中から白いウサギのぬいぐるみが転がり落ちた。
「ははあ、これはまた元気なウサギだ」
 言いながら、拾い上げたぬいぐるみを帽子に押し込み、頭に戻す。そしてひょいと帽子を持ち上げると、ノッコの頭の上にはふわふわとした毛並みの本物のウサギがちょこんと座っていた。観衆から感嘆の声と拍手が起こる。
「まだまだ、この程度で驚いていてはいけませんよ、みなさん」
 にやりと笑ったノッコが頭の上のウサギごと帽子をかぶり直し、また持ち上げると、ウサギの姿は忽然と消えていた。取った帽子を観客に向けてくるりと回してみせるが、何の変哲もないただのシルクハットだ。
 舞台に軽快な音楽が流れ始め、ノッコは帽子から次々といろいろなものを取り出し始めた。花、小鳥、果物にステッキ。逆さにして振った帽子からざらざらとこぼれ落ちた大量の青い造花は、舞台の上に落ちたときには鮮やかな赤い色に変わっていた。そしてその造花をかき分けると、先程のウサギがぴょんと飛び出してくる。帽子をかぶせて捕まえると、次の瞬間にはもとのぬいぐるみに戻っていた。客席からは、その度に大きな拍手が起こる。ノッコはおどけた仕草で時折失敗もしてみせ、観客を笑わせることも忘れなかった。
 そして、さてお次はとばかりにノッコが帽子に手を突っ込んだとき、唐突に大きなおならの音が響いた。「うわっ」と驚いたようにノッコが飛び上がる。妙にリズミカルに続くおならの音は、どうやら靴の踵に細工がしてあるらしい。これは特に子どもたちに大好評だった。あちこちから笑い声と「出すぎー!」「くさーい!」と甲高い野次が飛んでくる。
「いや失礼。これは失礼。いかん、止まらない。それでは、私はこれにて。アリス、アリス、あとは頼むよー!」
 おならの音を出すたびに飛び跳ねるようにしながら、ノッコは片付けもせずにあたふたと舞台の袖に駆け込んでいく。
 反対側から現れたのは、小柄な機械人形の女の子だった。周囲の匂いを嗅ぐような仕草をした後、鼻を押さえて「くさい!」と大仰に顔をしかめ、再び子どもたちの笑いを誘う。
 アリスというらしいその女の子の首にはチャックのついた輪のようなものがはめられており、そのチャックを開くと、中から小さな人形がぞろぞろと飛び出してきた。ぴょんと飛び降りたり宙返りをしたりして、器用に舞台に着地する。うっかり転んでしまうものもいるのはご愛敬だ。
 人形たちがちょこちょこと整列している間に、アリスはぽんと床を蹴って高く跳ね上がった。くるりと宙返りして着地したときには衣装が替わっている。不思議な光を放つ石のような飾りが取り付けられたスカートと、両手にはその飾りとよく似たきらきら光るボール。同時に、舞台の床に色とりどりの円がいくつも現れた。
 アリスが軽く足でリズムを取りながら、流れるような動作で片方の手を翻し、ボールを床に落とす。すると、ポーンと軽やかな音が響き渡った。
 その音を合図にしたように、アリスと人形たちが一斉に動き出した。どうやら、ボールで床の円を打ったりスカートの飾りを叩いたりすることによって様々な音が出る仕掛けになっているらしい。軽やかなステップを踏みながら巧みにボールを操るアリスによって次々に繰り出される音は、長く短く、高く低く、重なり合ってあっという間に賑やかな音楽になった。人形たちの投げ返してきたボールをアリスがくるりと回りながら受け止め、踊りに合わせてまた放り投げる。ボールの数も、二つから三つ、三つから四つといつの間にか増えていき、踊りも演奏もさらに華やかに、軽やかに、見事に調和してひとつの完成された空間を舞台の上に紡ぎ出していく。
「さあ、それじゃまずはお片付け!」
 アリスがパチンと指を鳴らすと、楽しげなリズムとメロディに乗せて、舞台の片付けが始まった。アリスの指揮に合わせて、人形たちがくるくると踊りながら、ノッコが散らかしっぱなしにしたものを次々と袖に投げ込んでいく。人形たちは最後に真っ赤な造花の山を抱えると、観客のほうに向かって放り投げた。手前にいた人々の上に降ってきた花は、今度は真っ白に変わっている。受け止めた何人かがどんな仕掛けなのだろうとためつすがめつしてみても、何の変哲もないただの薄紙の造花にしか見えない。
 舞台をきれいにしてしまうと、いよいよアリスたちの演技の本番だ。跳ねるように曲のテンポが変わり、観客の間から自然と手拍子が起こる。色とりどりの人形たちの衣装がリズミカルにひるがえる様子は、まるで鮮やかな花がくるくると乱舞しているかのようだ。ぴたりと息の合ったアリスと人形たちの動きが、それにも関わらずまったく機械的な印象を与えないのは、一体一体の動きが、それこそ「ひとりひとり」と表現したくなるくらい、伸びやかで躍動感に満ちているからだろう。生き生きと踊るアリスの表情は本当に楽しそうだ。
 無邪気に手を叩くマールと一緒に手拍子をしながらも、メリッサは複雑な心境だった。あの女の子だって機械人形なのに……と思わずにはいられなかったのだ。同じ機械人形であるはずなのに、マールは疎まれ、旅芸人の踊り子は拍手で迎えられる。なぜだろう? マールにはこれといった特技もなくて、悪戯ばかりするからだろうか。けれど、マールにだっていいところはたくさんあるのに。
 大きな拍手とともに踊り子たちの演技が終わると、次はいよいよ最後の演目、イリスによる舞台劇だった。時刻はそろそろ夕方になろうとしている。
 劇場は太陽を背にしているため、すべての照明が消えると舞台は薄暗くなった。そこに、不意に凛とした声が響く。
「魔王が来る」
 舞台の一画にスポットが当たる。そこには、一体いつ現れたのか、椅子に腰を下ろした長い金色の髪の少女の姿があった。
「魔王が来る」
 少女は繰り返し、スッと立ち上がった。舞台が明るくなる。白い壁と大きな窓。部屋の中の風景だ。
 つい先程まで楽しげにざわめいていた観衆が、水を打ったように静まりかえる。誰もが舞台の上の少女に見入っていた。少女を支配する張り詰めた緊張が、一瞬にして客席にまで伝染したかのようだった。
 少女はそっと胸元に手を当てた。その指先は何かに怯えるように震え、助けを求めるような眼差しをこちらに投げかける。
「このイルヴィーナ公国には、恐ろしい言い伝えがあります。王女が十六歳になると、魔王が連れ去りにやってくるというのです。そして、ああ、私は明日、十六の誕生日を迎えます。今夜は国中が喪に服したように静まりかえっている。恐ろしい。とても恐ろしい。できることなら逃げ出したい。けれど、私が逃げ出してしまったら、この国はどうなるでしょう? 王女が逃げたことを知った魔王は、この国をどうするでしょう? 逃げることは、私には許されない。そうだ、せめて、あの方がくださった手紙を読もう。愛しいあの方からの手紙を」
 少女がそっと手を差し伸べると、カタカタッと床が動いて、あっという間に小さな文机が現れた。少女はそこから手紙の封筒を取り上げて、大切そうに抱きしめる。
 始まったのは、「魔王とエルドラの騎士」という、イルヴィーナ公国の古い伝承を元にした一人芝居だった。舞台の上に立つイリスは、まさしく、己に降りかかろうとしている恐ろしい運命に怯える繊細な姫君そのものだ。
 やがて、王女が一睡もできないまま夜が明けてしまう。王女は意を決したように唇を引き結び、ぎこちない足取りで城を出る。イリスの歩みに合わせて机や壁のセットが次々と床の下に隠れ、別の場所から瞬く間に木々とバルコニーのセットが現れた。
「さようなら、私の国。もう戻ってくることはないでしょう。ああ、恐ろしい魔王の手が見える。あの黒く醜い手が私をさらってゆくでしょう。さようなら、私を育んでくれた緑の大地。さようなら、私を愛してくれたイルヴィーナの民。さようなら、愛しい人。私は定めに従い、暗く恐ろしい場所へ参ります」
 その悲痛な声に含まれる深い絶望の響きは、聞く者を思わずぎくりとさせるほどの力を秘めていた。そして王女は魔王に連れ去られてしまう。照明が落ち、場面が変わる。立ち上がったイリスは、先程までの衣装の上に長いマントを羽織っていた。毅然とした横顔は、すでに悲嘆に暮れるか弱い王女のものではない。その口から発せられた力強い声にも、恐れ惑う響きは微塵もなかった。
「聞こう、イルヴィーナの民よ。なぜあなた方は諦めるのか。姫のために涙し、祈り、それでこの嘆きのすべてを忘れられるとでもいうのか。私にはできない。たとえこの身を裂かれようと、永遠の業火に焼かれようと、愛しい姫への愛を忘れることだけはできないだろう。我はエルドラの騎士。邪悪なる魔王を倒し、姫を救い出すことを、我が剣にかけて誓う」
 それは姫の恋人であるエルドラの騎士だった。しかし、ただの人間の身である騎士では、強大な力を持つ魔王には太刀打ちできない。そこで騎士はまず、国の外れにある深い森の奥に住む古の魔女のもとを訪れることにした。
 まるで劇場アルヴァーニそのものが意志を持ち、イリスと呼吸を合わせてでもいるかのように、イリスの台詞、イリスの動作に合わせて次々とセットが変化していく。そして、イリスの演技もまた変幻自在だった。マントを羽織れば凛々しい騎士であり、フードを引き上げて被れば老獪な魔女となる。また、そのような小道具がなくとも、イリスの指先の動きひとつ、声音ひとつで、観客はそれが誰のものであるのかを知るのだった。
 騎士は魔女から一振りの剣を授けられる。思わせぶりに魔女は言う。力の代償は、いずれおまえ自身が払うことになる。それでもよければこの呪われた剣を使うがいい。
 騎士は呪われた剣を手に、魔王に戦いを挑む。イリスは迷いのない足取りで舞台の中央に進み出ると、鋭い輝きを宿す剣を頭上に掲げ、高らかに宣言した。
「魔王よ、おまえがいかに強大であろうと、人の心まで支配することはできない。その暗黒の力をもって恐怖と悲しみを生み出すことしか知らぬ愚かなものよ。今こそ人が人を想う心の強さを思い知るがいい!」
 そして、その瞬間。
 舞台から少し離れた場所にある広場の噴水が、突然、激しい効果音とともに大きく吹き上がった。何事かとそちらに目を向けた人々は目を見張り、次いで驚きの声を上げた。吹き上がる水飛沫に様々な角度から光が当たり、そこに見上げるような魔王の姿を出現させたのだ。
 それは束の間の出来事だった。魔王の姿はまるで幻であったかのように消え去り、再び響いたイリスの声が観客を我に返らせた。
 熾烈な戦いの末、騎士は勝利を収める。けれど、物語はこれでハッピーエンドとはならなかった。呪われた力を使った代償に、騎士は醜い化け物の姿に変わってしまったのだ。
 助け出された姫は、しかし、愛する騎士の変わり果てた姿をどうしても受け入れることができない。魔王が消えて安堵した民は、今度は化け物になってしまった騎士を恐れ、疎み、罵り石を投げた。
 誰からも拒絶され、国を追われた騎士の苦悩の声が舞台の上に響く。
「よいのだ。姫さえ無事であるのなら、私はそれでよいのだ。姫が心安らかに暮らすためなら、私は喜んで国を去ろう。ああ、けれど、身を焼くようなこの苦しみはなんなのだ。この胸を満たす悲しみを、一体どうしたらいいのだろうか。誰か教えてくれ。誰か……」
 くずおれる騎士の周囲で、ふたたび場面が変わる。今度現れたのは、最初と同じ室内の情景だった。しばらくの沈黙の後、顔を覆っていたイリスがすっと立ち上がる。マントを脱ぎ捨てたその顔には、少女とも老婆ともつかない、諦観さえうかがわせる静かな表情が浮かんでいた。
「あれから長い月日が流れました。新たなイルヴィーナの王女が、明日で十六歳になります。再び魔王が現れ、彼女を連れ去るでしょう。そしてまた、彼女を助けるためにひとりのエルドラの騎士が立ち上がるのです……」
 差し伸べられた手と、じっと遠くを見つめる眼差し。繰り返される悲劇のプロローグを指し示しながら、ゆっくりと幕が下りた。
 一瞬の沈黙の後、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。今の今まで、舞台を見つめていた人々は、街の広場ではなく、古の時代のイルヴィーナ公国にいたのだ。それほど素晴らしい演技だった。
 無意識のうちに息を詰めていたメリッサも、ほうっと肩の力を抜いた。すごい迫力だった。あれが昨晩出会った、穏やかで優しげなイリスと同一人物だとはとても思えないくらいだ。それにあの劇場。一体どんな仕組みになっているのだろう。周囲からも、「こんなお芝居は初めて見た」「噴水の演出もすごかったな。本当に魔王が現れたかと思ったよ」などと、興奮したやりとりが聞こえてくる。
「すごかったわね、マール。……マール?」
 隣を振り返ったメリッサは、慌ててきょろきょろと周囲を見回した。つい先程まで隣にいたはずのマールがいなくなっていたのだ。
 いつの間に、と思いながら、人混みをかきわけてマールの姿を探す。途中でリックとビルにも会ったが、ふたりとも今日はマールを見かけていないと首を振った。
「もう! マールったら、一体どこへ行っちゃったの?」


 メリッサが困惑しながら広場を走り回っている頃、マールの姿は広場から少し奥に入った路地裏にあった。一緒にいるのは、旅商人の男、トレスターだ。まだ舞台への拍手が大きく響いていたとき、後ろからそっと声をかけられ、ここまで連れて来られたのだ。
「ぼうや。ぼうやはこの街にフィラードという不思議な宝石があることを知っているかい?」
「フィラード? うん、知ってるよ」
「そうかい。それじゃ、そのフィラードがどこにあるかは知っているかな?」
 マールはしばらく首を傾げて考え込み、それから「うん」とうなずいた。フィラードは、観測所の制御室の中に設置されている。本当は入ってはいけない場所なのだが、例によってリックとビルと一緒に忍び込んで、制御室の扉を見つけたことがあるのだ。もっとも、そのときもロダに見つかってこっぴどく怒られたことは言うまでもないが。
 トレスターはにやりと笑うと、マールの前に屈み込み、さらに猫なで声で言った。
「それじゃあ、わしをその場所まで案内してくれんかね。連れて行ってくれたら、お礼にホワイトキャンベルの仲間になれる方法を教えてあげよう」
「ホワイトキャンベルの!?」
 途端にマールが目を輝かせる。
「ぼくも、イリスたちと一緒に行けるの?」
「もちろんだとも」
「メ……ウィツも? ウィツも一緒でもいい?」
「ああ、好きなお友達を連れていくといい。きっと楽しいぞ」
「ちがうよ。ウィツはお友達じゃないの。ぼくのお姉さんなの」
「そうかい。それでも構わんよ。ただし、このことはまだお姉さんには内緒だ。せっかくだから、びっくりさせて、喜ばせてやらないとな。いいかい?」
「うん、いいよ! 内緒にする!」
 いい子だ、とトレスターがマールの頭を撫でる。
 路地の壁には、長く伸びたトレスターの影があやしく映っていた。まるで、「魔王とエルドラの騎士」に登場した、おそろしい魔王のように。





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