ウィツマールの姉弟



第五話 届かない声


 騒ぎは、その夜に起きた。
 いつものようにウィツの本を読んでいたメリッサは、玄関のドアが叩かれる音に驚いて顔を上げた。ノックというより、拳を叩きつけているような乱暴な音が何度も繰り返される。
「ウィツ! おいウィツ、開けろ! いるんだろう!」
 聞き慣れた怒鳴り声はロダのものだ。しかし、あの口うるさい現場監督がメリッサの家を訪ねてきたことなどこれまで一度もない。それもこんな時間だ。観測所で何か起こったのかと、メリッサは慌ててドアを開けた。
「マールはどこだ!」
 メリッサの顔を見るなり、ロダは挨拶もせずに言った。
「マール? あの子ならもう寝てるわ。今日は疲れて……」
「だったら叩き起こして来い! もっとも、あの悪ガキがちゃんとベッドにいればの話だがな」
 何が何だかわからないが、放って置けばロダはメリッサを押しのけて家捜しを始めかねない勢いだ。「なんなのよ、もう!」と文句を言いながらも、メリッサはマールの部屋に向かった。眠っているマールを起こさないよう、そっとドアを開ける。
 しかし、暗い部屋の中にマールの姿はなかった。質素な寝台もからっぽだ。メリッサの肩越しに部屋の中をのぞき込んだロダが低く舌打ちする。
「まだ戻ってないのか。一体どこに隠れてやがる」
「どういうこと? マールがどうしたっていうの?」
「フィラードが観測所からなくなった」
 唐突な言葉にメリッサは面食らう。ロダは苛立たしげに続けた。
「陽が落ちてから観測所のそばをうろついてるマールを見た職員がいるんだ。その後、制御室の異常に俺たちが気づいたときにはフィラードはもう消えていた」
 その言葉の意味がじわじわと頭に浸透するのと同時に、メリッサはすうっと足元が冷たくなるのを感じた。マールがそんな悪戯を思いつくはずがない。しかし、現にマールはここにいない。黙って家を抜け出したのは事実だ。
「……探さなくちゃ」
「だからそう言ってる! おまえ、本当に知らないのか?」
「知ってたら呑気に家になんかいないわよ!」
 叩きつけるように怒鳴り返すと、メリッサはロダを押しのけて駆け出した。
 家を飛び出すのと同時に、玄関の明かりが不規則に点滅する。フィラードがなくなったせいで、供給されていたエネルギーが途切れ始めたのだ。歯車の余力でしばらくは保つはずだが、街中のすべての動力が完全に停止してしまうまで長くはかからないだろう。
 唇を噛みしめて、メリッサは夜の街を走った。


 窓辺から外を見ていたイリスは、ふいに大きな青い瞳を何度か瞬かせた。小さく首をかしげ、「ねえ、モッチー」と背後を振り返る。
「どうかした?」
 今日の公演で使った装置の手入れをしていた少年が顔を上げる。モッチーは道具を置いて立ち上がると、イリスの横から窓をのぞき込んだ。
 “望遠鏡の街”の住人たちから歓迎を受けたホワイトキャンベルは、街で一番見晴らしのいい宿を提供されていた。彼らの飛空船アルバータは当然ながら寝泊まりもできるようになっているので、停泊所さえあれば特に寝床に困るということはない。恐縮するモッチーとは対照的に、座長のノッコは「それじゃ、お言葉に甘えて〜」と脳天気なものだった。
 その宿は観測所に近い区画にあり、ちょうど中央広場を見下ろすことのできる場所に立っている。イリスが示したのは、その広場だった。劇場アルヴァーニや噴水のかたわらに、何やら人だかりができている。
「なんだろう、騒がしいな」
「なぁに? なぁにっ? 夜のお祭りかしらっ?」
 ぴょんと飛び跳ねてアリスもやってくる。しかし、どう見てもそんな和やかな雰囲気ではない。
「様子が変だわ……。わたし、ちょっと見てくる」
「え? あっ、ちょっとイリス、ひとりじゃ危ないから……うわっ!」
 駆け出したイリスをモッチーが追いかけようとした瞬間、部屋の明かりが消えた。テーブルにぶつかった弾みでモッチーがひっくり返り、ソファで寝ていたノッコが押しつぶされて「うぎゃ」と妙な声を上げる。
 突然の停電に見舞われたのは宿だけではなかった。街全体から、徐々に光が失われようとしていた。


 メリッサがマールの姿を見つけたのは、広場までやってきたときだった。
 ただし、マールひとりではない。先に観測所の職員たちが見つけていたようで、マールの襟首をつかんでつるし上げていたのだ。「痛い、痛いよう」と足をばたつかせるマールに、「フィラードをどこへやった、この機械人形!」と怒声を浴びせている。
「やめて! 放して! マールを放しなさい!」
 駆け寄ったメリッサが職員たちの手からマールを取り戻す。そこにロダが追いついてきた。
「マール」
 低い声にマールの肩がびくりと震える。
「観測所でコソコソと何をしていた? 今度ばかりは悪戯じゃ済まされんぞ」
「ぼく、なにも……」
 メリッサは膝をついてマールの顔をのぞき込んだ。
「怒らないから正直に言って、マール。フィラードはとても大切なものなの。早く元に戻さないと大変なことになるわ」
「フィラードなんて盗んでない。ぼく、ほんとになにもしてないよ」
「わかってる。わたしもあんたが盗ったとは思ってない。でも、もし何か知ってるなら教えてほしいの」
 メリッサの言葉にも、マールはただ首を振るばかりだ。異変に気づいて広場に集まってきた人々の輪は、いつの間にかメリッサとマールを取り囲み始めている。異様な空気に怯えるマールの腕を、業を煮やしたロダがつかんだ。
「いいから来い。いくら物覚えの悪いおまえでも、現場を見れば自分のしでかしたことを思い出すだろう」
 そのままマールの小さな身体を引きずるようにして大股に歩き出す。「待って!」とメリッサは声を張り上げた。
「マールにフィラードなんて盗めないわよ! あんな大きいもの、どうやって持ち出すっていうの? マールひとりじゃとても無理よ!」
 あいつは馬鹿力の機械人形だ、とどこからか吐き捨てるような声が飛んでくる。違う、とメリッサも怒鳴り返した。確かに以前はそうだった。今でも、同じくらいの体格の子どもに比べれば力はあるだろう。けれど、それも少しずつ弱くなってきているのだ。
 追いかけようとしたメリッサの腕を誰かがつかんだ。そのまま容赦のない力でひねり上げられる。
「いい加減にしろ、この小娘! どうせおまえがあの小僧にやらせたんだろうが!」
「最初からフィラードを盗むつもりで街に入り込んだんだろう。所長の恩を仇で返しやがって、恥知らずの盗人め!」
「だから違うって言ってるじゃない! わたしたち、そんなつもりでこの街に来たんじゃない!」
「だったらどういうつもりだ、言ってみろよ、ええ!?」
「それは……」
 メリッサがわずかに言いよどむ。すると、途端にあちこちから激しい罵声が上がった。
 ほら見ろ、言えないじゃないか! 後ろ暗いことがある証拠だ。吐かせろ。つるし上げろ。フィラードを返せ!
「違う! マールもわたしも何もしていない!」
 しかし、いくら叫んでも、誰もメリッサの言葉になど耳を貸さない。振り払おうとした腕を、逆にいくつもの手につかまれて地面に引きずり倒される。
「正直に答えろ! フィラードをどこへやった!」
「だから何度も……!」
「強情な小娘だ。いっそこの弟とやらを壊してやれば素直になるんじゃないか?」
 頭上から降ってきた言葉に、メリッサはざわりと背筋が凍るのを感じた。起き上がって振り向いても、誰が言っているのかわからない。人だかりの中から投げつけられる嫌な声。
「どうせその頭の弱い機械人形を締め上げたところで何も出てきやしねぇ。主犯はこいつだ。おいロダ、この盗人の前で大事なお人形の弟をバラバラにしちまえ!」
「待って! やめて!」
 メリッサの声はほとんど悲鳴だった。ロダは渋ったようだったが、周囲の男たちがその手からマールをもぎ取る。人垣が割れ、メリッサの目の前にマールが引きずり出された。
「ウィツ」
 泣き出しそうなマールの声。押さえつけられてメリッサは動けない。
「お願い、やめて! 本当に嘘なんてついてないの!」
 そのとき。
 突然、まばゆい光が彼らの目を射た。





戻る | 目次 | 進む
TOP

Copyright (C) PinkNokko's All Rights Reserved.