ウィツマールの姉弟



第六話 闇夜の即興劇エチュード


 夜の広場に突然差し込んできた光は、劇場アルヴァーニのスポットライトだった。街の明かりはどんどん消えていっているが、移動式劇場であるアルヴァーニには独自の電源があるのだ。
 光はゆっくりとステージのほうへ移動し、広場にいた人々も、その動きにつられるようにしてアルヴァーニを振り返る。照らし出されたステージの中央にはイリスが立っていた。ただ、ライトの色の加減か、淡い金色の髪が普段よりも濃い色合いに見える。誰かによく似た――そう、それはメリッサの髪の色だ。
 伏せられていた睫毛がすっと上がり、澄んだ青い瞳がメリッサとマールを囲む人だかりに向けられる。そして、イリスはよく通る声で「私の弟を知りませんか」と言った。
「私の弟を知りませんか。機械人形の男の子です。これから長い旅に出なくちゃならないのに、困ったわ、どこへ行ってしまったのかしら。私たちはこれから、“望遠鏡の街”というところへ行くんです。とても大切な用があって」
 始まったのは、何の背景もないシンプルな一人芝居だった。台本などないイリスの即興だということは、イリスが演じているのがどう考えてもメリッサであることからも明らかだ。
「ああ、見つけました。こんなところにいたのね。さあ、行きましょう。“望遠鏡の街”はとても遠いけれど、きっと辿り着かなければ。あなたが止まってしまう前に」
 止まる? と誰かが小さくつぶやく。不穏な空気が暴動寸前にまで高まっていた広場が、いつの間にかすっかり静まりかえっていた。マールを壊せと声高に叫んでいた男たちも、引き込まれたように舞台に立つイリスに見入っている。
 イリスは舞台の上をゆっくりと歩きながら、歌うように続けた。
「あなたはもうすぐ止まってしまう。あなたを動かす鉱石によく似た力を持つ石が、ラーズファートの果ての街にあるという。そこで私は必ず見つけよう。これからもあなたといるための方法を。あなたを作ったのは私たち。あなたと過ごしてきた時間を、私たちはまだ終わらせたくない。だから探そう、フィラードと呼ばれる宝石を。その宝石の力を知る人々を。彼らの力を借りることができれば、きっと方法が見つかるはず」
 舞台の端まで辿り着くと、ライトがわずかに翳った。くるりと振り返ったイリスの表情が変わっている。
「余所者め! フェラードを狙う、得体の知れない余所者め!」
 聞く者を思わずびくりとさせるほどの鋭い声。激しい糾弾の後、イリスは再びメリッサの役へと戻る。
「言えない。指をさされ罵られている間は、きっと誰も私の言葉など信じてはくれないでしょう。私はただ弟を助けたいだけ。フィラードと、街のみんなの力を借りたいだけ。けれど、どうしたら私の言葉は届くでしょう? どうしたら……」
 だが、そこでイリスの声は不自然に途切れた。イリスの言葉にかぶせるように別の声が響いたのだ。
「なんという愚かな娘。馬鹿な娘だ。良い方法を教えてやろう。フィラードを盗め。奪うのだ! そうすれば力はすべておまえのもの。何も思い悩むことはない」
 よく響く低音で朗々と歌いながら、誰かが舞台の中央に歩み出てくる。スポットを当てるというよりは、まるで誰何でもするかのようにその人物にもライトが当たる。そこに立っていたのは、タキシードに身を包んだ男だった。一瞬置いて、トレスターと名乗っていた旅商人だと人々は気づく。
 トレスターはさらに畳み掛けるように広場の人々に向かって歌いかけた。
「見ただろう、愚かなエルドラの騎士の物語を。善良であるはずの民は、みずからを犠牲に魔王を討った騎士に石を投げ、愛だけは消えぬと言った騎士は、醜い魔王となって別の愛を引き裂く。人は所詮、己が可愛いだけの生き物だ。恩義が何だ? 信頼が何だ? 用心しろ。用心しろ。今に泥棒猫は大事な宝石を盗んで逃げ出すぞ!」
 人々は不安げにざわめき始めた。どういうことだ? やっぱりあいつらの仕業なのか。
 イリスも毅然と顔を上げ、凛と声を張り上げた。
「黙りなさい。愚かな男。哀れな男。誰かを救うために手を汚すのは、救うその相手まで汚すということ。騙し、奪ったことへの報いは、誰もがいずれ必ず受ける。本当に大切な相手のために、誰がそんなことを望むでしょう」
「報い。報いか! そしてそれを恐れるおまえたちは、清く正しく生きた結果、愛する者とやらを救うこともできず、悲嘆の涙に暮れる人生を送るというわけだ」
 トレスターの嘲笑が夜の底に響き渡る。イリスの一人芝居は、いつの間にかふたりの舞台へと変わっていた。
「騙せ! 奪え! 疑え! 欲するものを手に入れてこその人生だ。手に入れるのも守るのも同じこと。真にそれを望むなら、何を踏みつけにしてでも目的を果たせ。その揺るぎなき信念こそが真実の愛だ!」
「信じる心なくして絆は結ばれない。騙し騙され続け荒れ果てた心で、どうしたら手を取り合うことができるでしょう。疑うことしか知らぬ心で、何を生み出すことができるでしょう」
「生み出したところで、結局は奪われるだけだ。ならば生み出すより奪え。奪われる前に疑え。気を許すな、誰もが盗人だ。それを知る者だけが、この世界で生き残ることができるのだ!」
 イリスの青い双眸がするどい光を帯びた。強い意志をたたえた眼差しがまっすぐにトレスターを射貫く。
「おまえの言う善良で愚かな人々が世界を支え、新たな息吹を与え続けているからこそ、おまえのような者でさえ、この世界では生かされる。すべての人々がおまえと同じ道に堕ち、剥き出しの欲望に支配されれば、世界はいずれ荒廃し、劫火に焼かれた一面の焦土と化すでしょう。人の影も絶えた荒野に虚ろな骨となって埋まりながら、おまえはそれ以上、誰を騙し、何を奪うというのか!」
 微塵の揺るぎもなく突きつけられた指。トレスターはわずかに沈黙してから、腹を抱えて笑い出した。
「なるほど、わしの理論は最終的には行き詰まるということか。面白い。しかしね、お嬢さん、荒野と化した世界に骨をさらすというのなら、それはそれでわしは結構なのだよ。それこそ、わしの理論が世界を制した証ではないか! これ以上の誉れが他にあるかね」
 まるでまだ舞台の続きだとでも言うように、大仰に両手を広げてみせる。イリスが再び反論しようと口を開きかけたとき、頭上からエンジン音が近づいてきた。
 見上げれば、夜空に大きく浮かんだ月を背に、奇妙な形をした影が降りてくる。月明かりを反射するそれは、小型の飛空艇だった。
「トレスター様〜、運搬の準備が整いましたです〜」
 操縦席からそう呼びかけるのは、あの機械人形のプリテットだ。
「それでは、善良で愚かなる諸君、ごきげんよう。この世界が健在なうちは、せいぜいわしの好きにさせてもらうとするよ」
 トレスターは飛空艇から投げ降ろされた縄梯子に掴まると、再び上昇を始めた飛空艇とともに悠々と上空へ去っていく。その飛空艇から伸びた二本のアームには、緑色の巨大な結晶が握られていた。淡い虹色の光を放つ不思議な宝石――まぎれもなく、街を支えるフィラードだ。
「なんてことだ……!」
 ロダが呻く。メリッサとマールを犯人扱いしていた人々も、気まずそうな視線をふたりに向けた。
 そこへイリスの声が響く。
「急いで彼らを追って! 見失ったらフィラードを取り戻せなくなるわ!」
 そのひと言に、皆ハッとしたように慌てて動き出した。今度こそ、本当にフィラードが奪われたのだ。もはや一刻の猶予も許されなかった。


「自警団は飛空艇でトレスターを追い、フィラードの奪還。ロダは大望遠鏡を灯台に改造する作業を頼む。念のため、街の住人たちの避難も行う」
 広場で陣頭指揮を執るのは所長のダールだ。停泊所で指示を受け取ったモッカーは無線機を置くと、部下たちを振り返って声を張り上げた。
「フィラードを盗人から取り戻しに行く。俺とエディ、それにソイルだ。すぐに準備しろ!」
「えっ、お、俺ですかっ?」
 ソイルが素っ頓狂な声を上げる。飛空艇の操縦には自信があるが、まだ新米の自分が指名されるとは思わなかったのだ。
「今回はとにかく時間がない。スピードに強いことが第一だ。不安なら誰かに代わってもらえ!」
「いえ、行きます! もちろん行きます! まかせてください!」
 慌てて答えたソイルの背を、「頼んだぞ」と先輩の団員が押す。「はい!」とソイルは大きくうなずき返した。
 自警団は小型の汎用型飛空艇ドンパーを三機所有している。そのうちの一機に駆け寄りながら、こんな場合だというのにソイルは弾んだ口調でモッカーに話しかけた。
「やっぱりウィツさんたちがやったんじゃありませんでしたね!」
「なんだ、おまえはわかってたのか?」
「いえ、なんとなくそんな気がしただけです!」
 きっぱりと言い切る。モッカーはやれやれと肩をすくめて自分の操縦席に飛び乗った。
 一方、広場には遅れて宿を出てきたホワイトキャンベルの面々の姿もあった。「いやぁ、大変なことになったねぇ」とノッコがつぶやいていると、所長と話をしていたイリスが駆け戻ってきた。
「みんな、わたしたちもお手伝いをするわ。これから自警団の人たちがフィラードを取り戻しに向かうけど、剥き出しのフィラードは飛空艇の計器の狂わせてしまうそうなの。だから、彼らが戻ってくるための目印になるよう、望遠鏡を灯台にする必要があるんだけど……」
「わかった。アルバータのエンジンから電力を供給するんだね」
 すぐに察してモッチーがうなずく。すでに、街の明かりはすべて消えてしまっている。自警団の飛空艇も出払ってしまっては、発電機として仕えるのは彼らの飛空船のエンジンだけだろう。
「その通り。わたしとモッチーでその作業に当たるわ。ノッコとアリスはダールさんを手伝って、避難の誘導をお願い」
「わかったわ、まかせてちょうだいっ!」
 アリスが元気よくピョンと跳びはね、「りょーかい」とノッコも気の抜けた返事をする。
 皆が慌ただしく動き回る中、メリッサはマールの前にしゃがみ込んだ。
「いい? あんたはみんなと避難してて。リックかビルに会ったら一緒にいればいいわ。所長たちの言うことをちゃんと聞いて、いい子にしてるのよ。できるわね?」
「うん」
 うなずきながらも、マールは不安げにメリッサを見上げた。
「メ……ウィツはどうするの? フィラード、戻ってくる?」
「大丈夫よ」
 メリッサは笑ってその頭を撫でた。br> 「わたしはそのための手伝いをしてくるから。大丈夫、全部、ちゃんと元通りになる。さ、行きなさい」
 そこへちょうど通りかかったノッコが、「よう、少年。避難するぞ〜。まあ、夜のピクニックみたいなもんだ」といい加減なことを言いながらマールの手を引いていってくれる。その後ろ姿を見送ると、メリッサは踵を返して駆け出した。





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