ウィツマールの姉弟



第八話 天使がくれたもの


 トレスターが強引なやり方でフィラードの制御システムを切断したために完璧な復旧にはまだしばらくかかりそうだが、夜が明け始めた頃には、街にはいつも通りの活気が戻りつつあった。
「ウィツ。おい、ウィツ、いるんだろう?」
 朝のまだ早い時間、ロダは観測所からそう遠くない場所にある小さな家を訪ねていた。ドアを叩き、中に声をかける。それを何度か繰り返すと、ようやくにぶい反応があった。
 のろのろとドアを開けた少女はひどい顔をしていた。あれから一睡もしていないに違いない。徹夜明けなのはロダも同じだったが、メリッサのやつれようは異常なほどだ。
「マールはどこだ」
 その言葉は前の晩とまったく同じだったが、状況はまるで違っていた。ロダはマールがここに「いる」ことを知っているし、メリッサはロダの強引な態度に怒鳴り返す気力もない。
 メリッサを押しのけて家の中に踏み込んだロダが見たのは、テーブルの上に開きっぱなしになっている手作りらしい本と、その傍らに置かれた淡い紫色の石、そして、ソファにそっと横たえられた機械人形の少年だった。淡い朝陽が差し込む中、まるでそこだけ時間が止まっているかのように静謐な雰囲気をたたえている。
 床に工具がいくつか転がっているのは、メリッサがなんとか自力でマールを直そうとしていたからだろう。ロダは大股に部屋を横切ると、マールを無造作に肩に担ぎ上げ、机の上の鉱石を取り上げた。
「ちょっとロダ、何を……」
 ロダは何も言わずに外に出ると、そのまま来た道を戻っていく。メリッサはぼんやりしていた頭をはっきりさせるように軽く首を振ると、慌ててその背中を追いかけた。
 向かった先は、街外れにある機械工房「リリック」だった。ロダが声をかけるより先に、いち早くマールの姿を見つけたらしいこの店の息子のリックが飛び出してくる。
「おい、ロダのオッサン! マールが止まっちゃったってホントかよ! もう動かねえのかよ、こいつ!」
 まくし立てるリックに、ロダはしっしと手を振る。
「ちょっと黙ってろ、クソガキ。そのことで相談に来たんだ、さっさと親父さんを呼んでこい」
「ちぇっ、なんだよ、クソジジイ!」
 悪態をついてから、拳が飛んでくるのを見越したようにパッと飛び退いて店の奥へ走っていく。ほどなくして出てきた店主は、ロダが抱えているマールを見て、「ああ」と小さくつぶやいた。マールと灯台の顛末は、避難から戻ってくる間に住人たちにも知れ渡っていた。
「まだ石の力が切れたわけじゃねえんだ。たぶん取り出し方がまずかったんだろう。また動くようにはならないか?」
「そうだな……どこの回路が原因かにもよるが、とにかくやるだけやってみよう」
 色あせた小さなフィラードを光に透かして見ながら、店主はロダから受け取ったマールの身体を抱えて、工房の奥へと入って行った。少しして、父親について奥に行っていたリックがひょいと顔を出した。
「しばらくかかりそうだから、ふたりとも帰ってていいってさ。終わったらオレが呼びに行くから」
「いい……ここにいるわ。ここで待たせて」
 首を振って答えたのはメリッサで、ロダも店先の作業台のそばにあった椅子にどっかりと腰を下ろした。
「あ、そう?」リックがつぶやく。「べつにどっちでもいいけどさ。姉ちゃんも座れば? てかロダのオッサンより姉ちゃんのほうがよっぽどぶっ倒れそうじゃん。なんでひとりだけさっさと座ってんだよ」
「…………」
 細やかな気配りに欠けるという自覚がないでもないロダは沈黙で通した。
 リックは店の奥から持ち出してきた椅子をメリッサにすすめると、自分は部品の入った木箱の上によじ登り、ぶらぶらと足を揺らした。
「オレ、知ってたよ。マールの奴が最近どんどんトロくなってきてたの」
 ひとりごとのように話し始める。メリッサがわずかに目を上げてリックを見た。
「足手まといでめんどくさかったけど、まあ、その分いつもあいつが逃げ遅れて怒られてくれたから、それはそれで助かっててさ。でも、なんでトロくなってるのかは、ぜんぜん考えなかった」
 リックの言葉を、ロダも口を閉ざしたまま聞いている。それは街の大人たちも同じだった。マールの不調には、誰もが薄々気づいてはいたのだ。だが、あえて深く考えようとはしなかった。見て見ぬフリをしていたのだ。その意味では、マールをあからさまにのろま扱いして馬鹿にしていた子どもたちよりも、はるかに質が悪い。
「ホントは、マールの中のあのちっこいフィラードの力がもうなくなりそうになってたからだったんだろ? なのにあいつ、街のために自分のフィラードを出したって、父ちゃんたちが言ってた。今あいつが動かないの、そのせいなんだろ? やっぱりバカだよ、あいつ。自分が動かなくなるのに何やってんだよ」
 起きてきたらぜったいぶん殴ってやる、とリックはつぶやく。だってあいつはオレの子分だからな。オレ、まだ止まっていいなんて言ってねえもん。
 待つ時間は、メリッサにはまるで永遠のように感じられた。血の気がなくなるほどきつく指を組んで、遠くドルヴァリアにいる幼馴染みに胸の内で呼びかける。ウィツ、お願いウィツ、力を貸して。あなたが呼んでくれれば、きっとまたマールは目を開けてくれる。だって、あなたの手がマールに息を吹き込んだんだもの。マールはわたしたちが作ったんだもの。誰かが欠けていいはずがない。絶対に、また三人で笑えるでしょう?
 どのくらいそうしていたのか、じっと目を閉じていたメリッサは、ガタンとロダが立ち上がる音で我に返った。ハッとして立ち上がると、奥のドアが開いて店主が出てくるところだった。そして、その横には、彼に手を添えられて立っているマールが。
 メリッサは口を開きかけたが、すぐには声が出てこなかった。マールが立っている。ゆっくりと歩く足取りはまだおぼつかないけれど、それでも確かに自分の足で立っている。立ち尽くしているメリッサの姿を見つけると嬉しそうに駆け寄ろうとして、ころりと転んだ。
 メリッサの青い瞳に涙があふれたかと思うと、あっという間に頬を伝って流れ落ちた。崩れ落ちるようにその場に座り込み、そのまま顔を覆って泣き出す。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう……」
 言いたいことはたくさんあるのに、こみ上げてくる想いはその言葉にしかならなかった。自分でひとりでは何もできなかった。助けを求めることさえできなかった。どれだけ感謝したらいいだろう。ロダに、「リリック」の店主に、皆に事情を伝えてくれたイリスに、もう一度動いてくれたマールに。きっと今この瞬間にもドルヴァリアでメリッサとマールを心配してくれているであろうウィツに。誰に何度言っても足りない気がした。
 誰かに心から感謝し、頭を下げる。今まで何度でも頭は下げてきたけれど、それはすべて上辺だけのものだった。その本当の意味を、メリッサはこのとき初めて知った。
 泣きじゃくるメリッサの頭をマールの手がそっと撫でる。泣き虫、と笑ったのはたぶんリックだろう。
 大騒ぎになっている「リリック」の店先に、ひょいと新たな人影が現れた。
「よかった、ちゃんと動いたのね、マール」
 先を越されちゃったわね、と連れを振り返って笑ったのはイリスだ。イリスとモッチーも、必要な片付けを済ませた後、ふたりの様子を気にしてメリッサの家を訪ねていたのだ。
「何か手伝えればと思ったけど、大丈夫だったみたいだね」
 モッチーも安心したようにうなずく。
 マールが再び動くようになったという情報は、あっという間に街中に広がった。


          *

 ホワイトキャンベルが街を発つ日がやってきた。
「お世話になりました。いろいろ手伝ってもらって、ありがとうございます」
 停泊中のアルバータの前で、モッチーがぺこりと頭を下げる。
「そんな、何言ってるんですか。助けてもらったのはこっちのほうですよ。みなさんは街の恩人なんだから、このくらい当然です」
 慌てて答えたのは自警団員のソイルだ。あの晩、結局アルバータのエンジンもオーバーヒートを起こしてしまい、修理のための部品などを自警団から提供していたのである。
「ソイルさんたちだって英雄でしょう。なんといっても、フィラードを取り戻してきたんですから」
「まあ、それはそうなんですけどね……」
 はあ、とソイルはため息をつく。褒められているというのに今ひとつ表情が冴えないのは、彼の左腕に巻かれている包帯のせいだった。
「あり得ないですよ、ホント、一発でも被弾するとか……。しかもあんなとぼけた顔の機械人形にしてやられるなんて。一生の不覚です。パイロット失格です」
「でも、機体に損傷はなかったし、その怪我だって掠めた程度だったんでしょう? モッカーさんが言ってましたよ。ソイルさんが敵の目を引きつけてくれたおかげで隙ができたって」
 十分すごいじゃないですか、と首を傾げるモッチーに、ソイルはぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、ダメです。まだまだ全然ダメです。演習での成績がいいからって胡座かいてました。もっともっと腕を上げないと。あっ、ちょっ、団長! 団長ーっ! 今度訓練の相手してくださいねーっ!」
 通りかかったモッカーの姿を見つけて声を張り上げる。モッカーは面倒くさそうに「わかったわかった」と手を振り、その様子を眺めていたモッチーは小さく笑った。一歩内側に飛び込んでしまえば、本当に、この街には温かい人たちがたくさんいる。
「この分なら、きっと大丈夫だろうな。あの姉弟も」
 誰にともなくつぶやき、モッチーは停泊所の入り口へと目を向けた。そこでは、ホワイトキャンベルの面々が子どもたちに囲まれてサインをせがまれていた。一番人気はやはりイリスで、ノッコはときどき帽子に手を突っ込んではイリスの順番待ちをしている子に頼まれてもいないサインを書いたりして顰蹙を買っている。その賑やかな輪の中には、まだ少し頼りないながらもひとりで歩ける程度に回復した“小さな英雄”の姿もあった。
「しっかり歩けよな、マール! オレの背がおまえより高くなったらおぶってやるからそれまでガマンしろ!」
 とは、マールが転びそうになる度に腕を掴んでやっているリックだ。その反対側では、ビルが「その頃にはもうマールは直ってるんじゃないかなぁ……」と、リックに聞こえないようにつぶやく。まだ少しぎくしゃくしている大人たちとは対照的に、子どもたちは街のために身体を張ったマールに素直に一目置くようになっていた。
 メリッサも少し離れた場所からその様子を見守っていた。隣には所長のダールの姿もある。
「まだまだこれからじゃな、マールのことは」
「はい」
 所長の言葉にメリッサはうなずく。不安そうではなく、かといって無理に気負っているふうでもない、静かだがつよい声だ。まっすぐに前を見る青い瞳には、今までのメリッサにはなかった、穏やかな決意とでもいうべきものが浮かんでいる。
 マールはしばらくすれば元の通りに回復するという話だったが、それは振り出しに戻るというだけで、根本的な問題が解決したわけではない。それでも、「リリック」の店主がメリッサの持っているウィツの本を読んでみたいと申し出てくれ、ロダは相変わらず怒鳴ってばかりだが、ぽつぽつとフィラードについて説明してくれるようになった。すべてはこれから、街の人たちの力を借りて方法を模索していくことになるだろう。
 メリッサは改めてダールに向き直った。
「まだしばらくお世話になります。ご迷惑も、たくさんおかけすると思います。その分も一生懸命働きますから、どうかよろしくお願いします。わたしとマールに、この街のみんなの力を貸してください」
 深く頭を下げると、ダールは「おやおや」とかすかに目を細めた。
「ようやくわしらを頼りにしてくれたな。そう言ってくれるのを待っておったよ」
 からかうような口調だが、その声はとても優しい。ダールが親切であることはよくわかっているつもりだったけれど、あくまでも「つもり」でしかなかったのだと、今になってようやくわかる。
 これまでのメリッサは、結局なにもかも独りよがりで、必死のつもりが空回りをしていただけだった。信じてもらいたいなら、まず自分のほうから彼らを信じなければならない。それを教えてくれたのは、メリッサの心にすとんと飛び込んできたイリスだ。出会ったあの夜、イリスの笑顔がメリッサを受け入れてくれたからこそ、メリッサも心を開くことができた。そして、それが新しい一歩につながった。
 じっと見つめていると、その視線に気づいたのか、子どもたちに囲まれていたイリスが顔を上げた。ふわりと笑って、メリッサたちに向かって手を振る。同じように手を振り返しながら、メリッサは「所長」とダールに話しかけた。
「イリスって、一体何者なんですか? とてもただの旅芸人とは思えないんですけど」
 というのも、ダールとイリスは知り合いらしい、とマールが言っていたのを思い出したのだ。イリスが空から降りてきたとき、ダールは彼女に「お久しぶりです」と挨拶していたという。
「そうじゃなぁ……」
 ダールは考え込むようにつぶやくと、少し間を置いてから、ごく何気ない口調で続けた。
「あの方はな、このラーズファート王国の王女さまじゃよ」
 思いがけない言葉に、メリッサはわずかに目を見開く。しかし、どうやらダールは冗談を言っているわけではなさそうだった。
「四年前に首都を訪れたとき、一度お会いしたことがある。今は王家の慣習に従って世界中を旅されていると聞いておったが、まさかこの街でお会いできるとはなぁ。まだわしのことを覚えていてくださったよ」
 それからメリッサを振り返り、「そういう意味では、おまえさんと同じじゃな」と付け加える。同じとはもちろん、簡単に明かすことのできない事情を抱えているという意味だろう。
 王女様、とメリッサは小さく繰り返した。驚かなかったといえば嘘になるが、納得する気持ちのほうが大きかった。確かにイリスなら、この国を導いていく存在になれる。この街とメリッサに、新しい一歩を踏み出すきっかけをくれたように。
 ダールは話しながら何やらごそごそと懐を探っていたかと思うと、おもむろに取り出したものをメリッサの前に掲げてみせた。
「実を言うとな、わしもホワイトキャンベルのファンなんじゃ」
 何かと思ってよくよく見れば、それはイリスのサインだった。
「なんですか、もう。所長まで子どもみたいに」
 メリッサは呆れてみせたが、やがてこらえきれなくなったように小さく吹き出し、それから腹を抱えて笑い出した。





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